東京地方裁判所 昭和33年(ワ)9523号 判決 1963年7月30日
原告 内藤卓
被告 東北電気製鉄株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金五、一七一万九、八四九円および内金一七八万八、一八五円に対しては昭和三〇年八月一日から、内金八九八万二、四二三円に対しては昭和三一年八月一日から、内金六六八万三、〇六六円に対しては昭和三二年八月一日から、内金一、〇二二万二、七六七円に対しては昭和三三年八月一日から、内金七〇二万三、二一〇円に対しては昭和三四年八月一日から、内金二三九万九、三二〇円に対しては昭和三五年一月一日から、内金六〇〇万〇、〇四八円に対しては昭和三五年八月一日から、内金八六二万〇、八三〇円に対しては昭和三六年八月一日から、各支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
(一) 被告東北電気製鉄株式会社(以下単に被告会社と称する。)は、主として炭化石灰、石灰窒素並びに電気銑等の製造販売を業とするものであり、原告先代内藤寛は、昭和一二年一二月被告会社に入社して同社和賀川工場長を務め、同二一年一二月同工場長を退任して同社東京本社の常務並びに専務各取締役として技術担当の重役を歴任し、同二八年五月病により取締役を退任、爾後同社技術顧問嘱託として同社に在職していたものである。
(二) 原告先代は、右常務取締役在任当時、技術面の一般的指導監督に任ずる傍ら、被告会社の業務範囲に属する石灰窒素の生産について、その製造炉の改良に関する予てからの着想を基に新規構造を考案し、昭和二九年一月七日、次項記載のごとき権利範囲の実用新案登録の出願をなし、同三〇年五月一〇公告された後、同年八月一一日、右範囲の実用新案登録を受けた(登録番号実用新案第四三二、三四〇号。以下単に本件実用新案と称する。)。
(三) 原告先代の考案にかかる本件実用新案の登録請求範囲は、石灰窒素の製造炉(以下単に窒化炉と称する。)のうち、
(イ) 無加熱式反応炉部分(別紙図面<省略>1の部分)において、炉壁の内側をシヤモツト煉瓦(同1a黒色の部分-耐火用煉瓦)をもつて、また同外側をイソライト煉瓦(同1b朱色の部分-断熱用煉瓦)をもつて、それぞれ構成し、
(ロ) 右反応炉部分の下部に接続する冷却筒部分(同IIの部分)において、右反応炉部分に水冷筒(同2青色の部分)を直接結合させる構造を有する、
ものである(以下、右構造を有する別紙図面の窒化炉型式を原告炉と称する。)。
(四) しかるに被告会社は、その和賀川工場において、原告の登録にかかる本件実用新案と同一の構造を有する窒化炉合計一二基を業として不法に使用しており、仮に然らずとしても右一二基の窒化炉のうち、第一、第四、第八、第一一、第一二号の各窒化炉合計五基については、本件実用新案と同一の構造を有しまたその余の窒化炉合計七基については、その無加熱式反応炉部分をシヤモツト煉瓦およびイソライト煉瓦を併用して本件実用新案の反応炉部分に関する考案と同一の構造とし、その冷却筒部分については、全長約四、二〇〇乃至四、五〇〇粍のうちその反応炉との接続部分に約三〇〇乃至六〇〇粍の空冷筒を設置するほかはその下部を水冷式としており、その効能からみるときは水冷式の効果によつてその作用を全うしている実情であつて、その構造は原告炉の構造と考案の重要な部分において類似性があること明らかであるにも拘らず、いずれも本件実用新案出願公告の日である昭和三〇年五月一〇日以降原告の許諾を得ることなくこれを業として不法に使用している。
(五) 而して右実用新案を実施させる場合、原告が受けうる正当な補償(実施料)としては、石灰窒素製造業界の一般的慣行として製品建値の三%が相当であるところ、被告会社は右不法使用によつて右出願公告の日以後たる昭和三〇年六月一日から同三六年七月三一日までの間、別紙実施料算定表<省略>(A)欄記載のとおり石灰窒素を製造し、同表(B)欄記載のとおりの建値でこれを販売したから、同表(C)欄記載のとおり合計金五、一七一万九、八四九円におよぶ実施料相当の損害を原告に蒙らせた。
(六) よつて原告は被告に対し、右損害金の支払並びに昭和三〇年六月一日乃至同三四年七月三一日の間各年七月三一日までに生じた前記(C)欄記載の各損害金についてはいずれも各その翌日から、また昭和三四年八月一日から同年一二月三一日までに生じた分については昭和三五年一月一日から、同三五年一月一日から同年七月三一日までに生じた分については同年八月一日から、同年八月一日から同三六年七月三一日までに生じた分については同年八月一日から、それぞれ各金員支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、
と述べ、被告会社がその主張のごとき二つの特許を有することは認めるが、これら特許は格別新規性乃至実効性を有するものではなく、単に原告炉との非類似性を偽装せんとしているにすぎず、右特許の存在は被告会社が前記のごとくその窒化灰一二基に本件実用新案を不法に使用している事実を正当化するものではない。と附陳し、
(1) 被告会社の職務発明に基く実施権に準ずる実施権の抗弁に対しては、本件実用新案が原告の勤務に関してなされ、且つその性質上被告会社の業務範囲に属するものであることは争わないが、その発明考案をなすに至つた行為が原告の任務に属するとの主張は争う。すなわち、(イ)法文上、旧実用新案法(大正一〇年法律第九七号。以下単に旧実用新案法と称する。)第二六条の準用する旧特許法(大正一〇年法律第九六号。以下単に旧特許法と称する。)第一四条第二項の「その発明をなすに至りたる行為が、被用者、法人の役員又は公務員の任務に属する場合」とは「勤務に関する」というよりも狭義に解すべきは当然で「その発明考案を命ぜられ、或いはこれを一定の研究課題として特に課せられたような場合」に限定される趣旨と解すべきところ、原告先代は本件実用新案について、その考案を命ぜられ或いはこれを研究課題として特に課せられたことはない。また右に関し、被告主張のごとく被告会社の技術員を動員し、原告先代がその指揮者となり、或いはその研究費のため数百万円が投ぜられD式炉三基がその実験台に供せられた等の事実は存在しない。(ロ)従来窒化炉としては、無加熱空冷式窒化炉(以下単にD式炉と称する。)と加熱水冷式窒化炉(以下単にN式炉と称する。)とが存したが、右両種の窒化炉はいずれも反応炉壁の保温が充分でなく炉壁から散逸する熱量が大きいため、D式炉においては原料カーバイト粉末の反応熱のみによつて反応炉内を適温(摂氏約一、〇五〇度)に保たしめ得る反面、冷却装置としては冷却効果の大きい水冷式を採用しえず空冷式に依存する結果、原料投入率が不良で石灰窒素の生産量は日産約三屯に留り、他方N式炉においては水冷式冷却筒の採用により原料投入率が大となり生産量は日産約五屯に達する反面、反応炉内温度の低下を防ぐため補熱の必要があり、このため電力の消費電極の消耗等が甚大となり、双方共、工業上多大の欠点を有していた。(ハ)原告先代は被告会社に入社する以前、被告会社の親会社たる訴外電気化学工業株式会社に在職していた頃から、右欠点除去のため本件実用新案の着想を得、すでに理論上並びに構造上成案を得ていたので、その後被告会社に入社し和賀川工場を建設する際に、反応炉部分については原告先代の考案どおりの構造を有する反応炉を築造し、既に一部を具現化していた。ただその完成のためには、反応熱と水冷効との熱平衡を維持するため更に研究を要したので、その後も鋭意工夫を加えた結果、遂に昭和二五年頃本件実用新案の考案を完成したものであつて、これは全く原告の過去十数年来の着想が美事に結実したものであり、被告会社から法定実施権を主張される何のいわれもない。
(2) 被告主張の先使用の抗弁に対しては、被告会社が原告の本件実用新案出願以前から原告炉を使用していたことは認めるが、そもそも本件実用新案は原告が被告会社に在職中完成したものであり被告会社はその効能甚大なるを認め、旧来の窒化炉にこれを採用し使用するに至つたものであるから、原告の右考案を被告会社が知らずに着意でこれを実施していたとは言えない。
(3) 被告主張の失効の抗弁は否認する。原告は被告会社に対し、本件実用新案登録以来昭和三三年八月八日附の書留内容証明郵便による請求に至るまで、再三にわたり実施料の取極めおよびその支払を督促して来たものである。
と述べ、証拠として、甲第一、二号証、第三号証の一乃至一一、第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一、二、第七、八号証、第九号証の一乃至三、第一〇、一一号証の各一、二、第一二号証、第一三、一四号証の各一、二、第一五号証、第一六号証の一乃至三を提出し、証人湖本周作、同村田政治、同内藤恒治(第二回)、同香川勲、同岡俊平および鑑定証人橋本三郎の各証言、当時原告本人内藤寛として尋問を受けた、同原告本人内藤卓の各尋問の結果、鑑定人秋山礼三、同橋本三郎の各鑑定の結果並びに検証の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。
被告会社訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実のうち(一)乃至(三)は認める。(四)のうち被告会社が所有使用している窒化炉合計一二基のうち第一、第四、第八号炉合計三基が原告炉と同一の構造を有することは認め、その余については否認する。(五)は否認し、(六)は争う。
と述べ、なお被告会社は窒化炉の構造について、昭和二八年八月二四日出願にかかる特許第二一六、二三九号(以下単に被告会社第一特許と称する。)および特許第二三七、九二二号(以下単に被告会社第二特許と称する。)の二つの特許を有しており、右第一特許は窒化炉の反応炉部分に接続する冷却筒のうち上部適当の区間を空冷式とし、これに続く下部適当の区間を水冷式とする構造を有するもので、原告炉が反応炉部分と水冷筒とを直結させるのと構造的にも機能的にも異つており、また右第二特許は反応炉部分の下部に設けた熱交換室で予熱された窒素ガスをガスパイプで炉内に誘導する装置を付する構造に関するもので原告炉とは本質的に異る。而して被告会社の窒化炉一二基のうち、第一、第四、第八号炉合計三基は原告主張のとおりとしても、第九、第一一、第一二号炉は右被告会社第二特許を採用しているのでその構造は原告炉と本質的に異つており、その他の六基はその反応炉部分にシヤモツト煉瓦およびイソライト煉瓦を併用しつつも更に右二種の煉瓦の中間に赤煉瓦の層を入れてその効能の向上をはかつておりその類似性は減殺されているばかりでなく(シヤモツト煉瓦とイソライト煉瓦の二重構造は古くから業界で常用されていたところであつて何ら新規性はない。)、右六基の窒化炉の冷却筒部分にはすべて前記被告会社第一特許を採用しているので原告炉との類似性は問題とはならないはずである。
と附陳し、抗弁として、
(1) 被告会社は、旧実用新案法第二六条によつて準用される旧特許法第一四条第二項に基いて原告の本件実用新案につき実施権(所謂職務発明に基く実施権に準ずる。)を有する。すなわち、原告先代は被告会社の技術担当重役たる職務に関して本件実用新案の考案をなしたものであり、右実用新案は性質上、石灰窒素の製造販売を業務目的とする被告会社の業務範囲に属するものであるが、更に右考案をなすに至りたる行為は原告先代の任務に属するものであつた。蓋し、発明考案をなすに至りたる行為とは、発明考案行為そのものに限らず、技術の改良、研究を行う行為を意味するものと解すべきところ、原告先代は被告会社の技術担当の取締役として、その研究成果を用いて被告会社の全技術の改良進歩をはかり、業績の向上発展に寄与すべきことを一般的任務とし、且つ当時窒化炉の改造は正に原告の任務に属する具体的課題として原告に課せられていたものである。而して原告はその職責上、被告会社の多数の技術員の援助を得、これを指揮し、数百万円の研究費を使い、被告会社和賀川工場で実際に稼動操業中の窒化炉三基を順次実験台に供し、この研究実験に綜合的に従事した結果、本件実用新案の考案を完成したもので、その考案に至つた行為は正に原告の任務に属するものであつた。
(2) 仮に然らずとしても被告会社は、旧実用新案法第七条に基いて実施権(所謂先使用に基く実施権)を有する。すなわち、被告会社の窒化炉一二基のうち原告炉と同一の構造を有する第八号炉は昭和二六年三月頃、また同第一、第四号炉は同年九月頃いずれも現在の通りに改造されたものであり、いずれも本件実用新案公告の日たる昭和三〇年五月一〇日以前から、被告会社はその事業設備として善意でこれを実施しているものである。
(3) 更に原告の本件損害賠償請求権は「失効の原則」という観点から今日となつては主張しえないものである。すなわち、仮に原告の主張が認められるとしても、原告の本件実用新案は昭和三〇年八月一一日登録されており、その当時原告は尚被告会社の技術顧問の地位にあつて被告会社の窒化炉三基が原告炉と同一であることは当時既に知悉していたこと、および、原告は当時病気のため全く出社しないにも拘らず被告会社から技術顧問として相当の手当を受けて優遇され、被告会社に何ら金銭的請求などするはずはないと被告会社を信ぜしめ、被告会社がこの炉によつてその製造工程を進めることは当然であると信ぜしめていたものであること、に鑑みると、被告会社に対する原告の本訴損害賠償請求権は、既に失効しているといわなければならない。なお、原告は本件実用新案の登録を得たのち、一回もこれを自ら実施することなくただ死蔵しているにすぎないから、その実用新案権自体も失効の原則の適用を受けているというべきである。
と述べた。<証拠省略>
理由
被告会社が主として炭化石灰、石灰窒素および電気銑等の製造販売を業とするものであること、原告先代内藤寛が昭和一二年一二月被告会社に入社して同社和賀川工場長を務め、同二一年一二月同社東京本社に転勤し、技術担当重役として常務並びに専務取締役を歴任し、同二八年五月病により取締役を退任した後は同社技術顧問嘱託として在職したこと、および原告先代が右常務取締役在任当時、窒化炉について後記のごとき新規構造を考案し、これを本件実用新案として昭和二九年一月七日登録出願をなし、同三〇年五月一〇日公告されたのち、同年八月一一日登録を受けたこと、而して右登録にかかる本件実用新案の登録請求範囲は、窒化炉のうち、(イ)反応炉部分を無加熱式とし、炉壁内側をシヤモツト煉瓦で、同外側をイソライト煉瓦で各構成し、(ロ)冷却筒部分はこれを水冷式とし、反応炉下部に水冷筒を直接結合させる構造を有するものであること、についてはいずれも当事者間に争いがない。
ところで被告会社の和賀川工場に存する窒化炉合計一二基のうち(被告会社が和賀川工場に窒化炉合計一二基を有することは、被告会社の特に争わないところである。)、第一、第四、第八号炉合計三基がいずれも原告の実用新案にかかる炉型式(原告炉)と同一の構造を有することは、被告会社の認めるところである。そこで右三基以外の被告会社窒化炉の構造が原告主張のごとく原告炉のそれと同一乃至類似するものであるか否かの判断はひとまず措き、被告会社が本件実用新案について、その主張のごとく旧実用新案法第二六条の準用する旧特許法第一四条第二項に基いて、所謂職務発明に基く実施権に準ずる法定実施権を有するものであるか否かについて、まず検討することとする。
被告会社が右法条に基いて実施権を取得するための要件事実のうち、本件実用新案が原告先代の勤務に関してなされたものであり且つ性質上これが被告会社の業務範囲に属するものであるとの点については当事者間に争いがないので、争点は「本件実用新案の考案をなすに至つた行為が被告会社の役員たる原告の任務に属する場合」であつたか否かの一点に帰する。
(一) まず旧実用新案法の準用する旧特許法第一四条第二項にいわゆる「発明をなすに至りたる行為が発明者の任務に属する場合」の解釈について当裁判所は次のように考える。旧特許法(以下旧実用新案法もこれに準じて考えられる)は、発明を奨励し、これを特許権として確立し、その保護と利用を図ることによつて産業の発展に寄与することを目的とするものであつて、このため特許の権利は発明者に帰属するとの所謂発明者主義の原則を採用している。しかしながら、一方被用者法人の役員、公務員らがその職務に関して発明をなした場合には、使用者としては、かかる被用者等の労働の成果はすべて使用者に帰属すべきであると考えるために、かかる発明をめぐつて、使用者側と被用者等との間で利益の衝突を生ずることになる。法はこのため、一定の要件のもとに職務発明なる概念を認め、発明者主義の原則を貫きつつも使用者らに対し、右特許を無償で実施しうる権利を賦与することによつて、両者間の利益の妥当な調整をはかつているのである。従つて右実施権成立の一要件たる「発明をなすに至りたる行為が発明者の任務に属する場合」の解釈にあたつても、これを、右原則に照し、みだりに広く解すべきでないことは勿論であるが、原告主張のごとく「発明を命ぜられ、或いは具体的な課題として与えられている場合」に限定することは、「発明をなすに至りたる行為」と規定している法条の文言に照してもこれを首肯することはできない。むしろ右規定の趣旨並びに前記立法の趣旨に鑑みると、発明の完成を直接の目的とするものに限らず、結果かからみて発明の過程となりこれを完成するに至つた思索的活動が使用者との関係で被用者らの義務とされる行為の中に予定され期待されている場合をも謂うものと解するのが相当である。従つて、使用者が被用者に対し、かかる発明を命じた場合のみならず、その業務の範囲に属する技術問題についてその進歩改良のために研究すべきことを命じ或いはこれを期待して発明者に対し相当の便益を供し(この点については法定実施権が無償であることを勘案すべきである。)、よつてかかる発明を完成する機会を与えた如き場合には、かかる発明に対する使用者の間接的寄与に酬いるためこれに実施権を認める解釈が許されるものと考える。以上は実用新案の考案についても同様である。
(二) これを本件についてみるに、まず原告先代が本件実用新案を考案するに至つた行為を考察すると、成立に争いのない甲第一、二号証、同第八号証、同第一〇号証の一、二、証人内藤恒治(第一回)、同村田政治の各証言および原告先代内藤寛の尋問の結果並びに検証の結果によつて次の事実が認められる。すなわち、
(1) 従来、窒化炉型式としてはD式炉とN式炉とがあつて、前者は内壁を耐火用煉瓦で、外壁を鉄板で各構成する無加熱式反応炉を備え、補熱せずに原料の炭化石灰を連続的に投入し、反応熱のみによつて反応炉内の温度を維持する反面、冷却筒を水冷式になしえず空冷式の採用を余儀なくされ、その結果原料投入率が不良で日産約三屯の石灰窒素を生産するに留つていたこと、他方後者は右冷却筒に水冷式を採用するため原料投入率は大となり生産量は日産約五屯に達する反面、その冷却効果が大きいため反応炉内の温度を維持するため補熱用の電熱装置を必要とし、電力の消費電極の消耗等が甚大となる欠点を有していたこと。
(2) 原告先代は大正一一年東大応用化学科を卒業後被告会社の親会社たる電気化学工業株式会社に入社し同社の青海工場に勤務していた頃から、右欠点に着目し、同工場で操業中のD式炉が極めて能率の悪いことに慨嘆し、その改良を志し、偶々訴外水島某からN式炉に関する知識やデータを入手したことも相俟つて、D式炉の無加熱式反応炉とN式炉の水冷式冷却筒とを結合させることによつて右欠点を除去してより能率の良い窒化炉を構築しうるとの構想を懐くに至つたこと、しかしそのためには水冷式による冷却が原料の反応熱を多量に取り去るため反応炉壁での保温につとめる等、反応熱と水冷効との熱平衡の維持をはかることが絶対に必要で、偶々その頃熱伝導率の極めて小さいイソライト煉瓦の存在することを知つたので、昭和一二年頃、被告会社が設立されて原告先代が和賀川工場建設に技師長として参劃した際には、窒化炉の反応炉外壁に断熱用として右イソライト煉瓦を採用して反応熱の散逸を防ぐよう試み、前記着想の具現化を期したけれども、構造上並びにその操作上なお熱平衡維持の問題に検討を要し、本件考案は未だ完成を見ないまま、窒化炉改良の気運の到来をまつこととなつたこと。
(3) その後被告会社は終戦後に至つて肥料生産に重点をおき、石灰窒素の増産をはかることとなつたので、原告先代はこの機会をとらえ、前記着想に基いて被告会社の窒化炉を改造し原告炉を実現しようと考え、前記着想に基きD式炉とN式炉の結合方式の検討を技術陣に指示すると共に、前記熱平衡維持の問題解決に務め、温度昇降を自由に加減しうる電極補熱装置を有するN式炉二基を新たに設置して石灰窒素増産の要求に応ずると共に従業員をして電力補熱操作を習得させ、次いで昭和二五年四月頃第八号炉(D式炉)の反応炉部分に電極をとりつけ冷却筒部分を水冷式に改造してこれを操作し、次第に投入原料を増加し、断続的に原料の投入を行つてその反応熱を上昇させ、その上昇分だけ電力補熱を減少し、反応熱と水冷効との適正な平衡の維持に鋭意工夫を重ねた結果、遂に翌二六年三月頃、右電極を撤去して反応熱のみにより窒化を行わせうる無加熱水冷式窒化炉を完成するに至り(その後同年九月には第一、第四号炉をも同様改造した。)かくして前記争いのない実用新案の登録内容のごとく反応炉内壁をシヤモツト煉瓦で、同外壁をイソライト煉瓦で各構築し、その各厚さの比率を適当に按配することにより反応熱の散逸を減少させ、断続的な原料投入を行い補熱なしに適温を保持させると共に、冷却筒を全部水冷式とすることにより併せて原料投入率を増大させ、もつてD式炉に比して約二倍の生産能力を有する本件窒化炉の具現化に成功したこと。以上の事実が認められる。
原告は原告先代が被告会社入社以前から本件実用新案の着想を持つていた点を強調し、本件実用新案は、右認定の原告炉型式の実現に先立ち、昭和二五年頃に既に完成したと主張するごとくであるが、実用新案権は旧法下に於ては物品に関する型の考案を実施過程として現実に有型化すること、即ちその物を製作することが基本的な権利であるから「考案」なる概念も、単に観念的な思惟作用にすぎない着想の段階で完成するものではなく、少くとも、工業的に実用性のある新規な型として、具体的に有型化しうる可能性を取得しない限り考案が完成したとはいえないものと解せられ、本件においては、前掲各証拠を綜合すると、原告先代の考案はその主張の頃にはまだ完成したものとは認められず、被告会社において前記着想を具現化し、第八号炉を完成したのと同時に、これに伴つて原告の本件実用新案の考案自体も完成の域に達したものと認めるのが相当である。原告先代の供述中右認定に反する部分は信用できずその他原告の主張事実を積極的に認めさせる証拠はなく、以上の認定を覆えすに足る証拠はない。
(三) ところで原告先代がこの間被告会社においていかなる任務を有していたかについてみると、原告先代が昭和一二年被告会社和賀川工場長として勤務し、以後常務専務各取締役を歴任したことは争いのないところであるが、前記甲第一〇号証の一、二、証人内藤恒治(第一回)、同村田政治、同香川勲の各証言、原告先代内藤寛の尋問の結果によると、原告先代は訴外電気化学工業株式会社在職中もその技術的分野に在つて優れた才能を示して注目され、被告会社の設立と共にその才能を買われて和賀川工場建設の技師長として招かれたものであつて、以来常に被告会社の技術的分野、殊に石灰窒素製造の分野、においては最高の専門家であり、本件考案の当時およびその前後を通じ、被告会社の技術担当取締役として技術陣における指導的地位を占めていたこと、原告先代は右地位に基き、前記認定のごとく被告会社の石灰窒素増産という経営方針に従い、具体策の一環として窒化炉の改造に着手し、製造部工作課電気課等の組織を指導し、これを動員して被告会社の施設としてその費用でN式炉を設け、従業員をして電極装置水冷筒などの操作を習熱させるなど前記認定の経過をたどつて、遂に電極補熱なしに従来の二倍の生産能力を有する窒化炉の技術的改良に成功し、以つて前記被告会社の経営方針に技術面から貢献したものであることが認められ、以上認定の事実からみるときは、原告先代は当時被告会社の技術担当重役として、管理職的な立場から一般に被告会社の技術面の管理監督に任ずると共に、会社の業務範囲に属する技術問題については、その研究乃至進歩改良を指導する一般的職責を有し、殊に当時石灰窒素の増産という被告会社の経営方針を遂行するに当つては、技術担当の最高責任者として、窒化炉を増設し、或いはこれを改造するなどにより、石灰窒素生産の向上発展をはかるべき具体的任務を有していたものと推認するに難くない。原告先代の供述中右認定に反する部分は信用せず、他に以上の認定を左右するに足る証拠はない。
(四) してみると、原告先代が石灰窒素増産という被告会社の経営方針に従つてその技術部門の最高責任者として窒化炉の改良に当り、その結果本件実用新案の考案を完成するに至つた前記認定の行為は、被告会社の役員たる原告先代の任務に属するものであつたというべきであり、従つて、被告会社は原告先代のなした本件実用新案について、前記法条に基き、職務発明に基く実施権に準ずる無償実施権を取得しているものということができる。
以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、その余について判断するまでもなく理由がないことに帰するので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決した。
(裁判官 柳川真佐夫 立岡安正 三宅弘人)